ハンス・ヒンターライターbiography

1902 スイスのヴィンタートゥーアで、オーストリア人の父とスイス人の母の元に生まれる。 1908年生まれのマックス・ビルと同じ頃に小学校と中学校に通う。
1920-21 チューリッヒ大学で数学を学ぶが、すぐにETH(連邦工業技術高等学校)の建築科に転じる。 また音楽と絵画の教科もとる。
1922-24 イタリアへ留学する。
1925 ETHの建築科を卒業し、アーウラとベルンの建設事務所で働く。 同時に、風景画家レーマンに絵画を習う。
1929-30 ゼーリスベルクに全くひきこもり、風景の制作に専念する。 ヴィルヘルム・オストヴァルトの色彩理論に出会ったことによりヒンターライターの作品が革命的な変化を遂げる。 構成主義絵画に転じ、彼が「色彩と形態の機関」とみなす法則をもつ形態と色彩の実験にはいる。
1934 スペインへ留学する。これは彼がアルハンブラのムーア式の装飾に強い印象を受けたからであった。 好ましい住環境にひかれて、イビサ島に定住することを決めた。 映像における実験を開始する。
1936 スペイン内乱の勃発によりスイスに帰国をよぎなくされる。 彼の主著である「純粋理論的芸術」を著し、自然科学者で色彩理論家のヴィルヘルム・オストヴァルトの娘グレーテと交際するようになる。 これは、彼女が亡くなるまで長きにわたった。
1938 マックス・ビルとチューリッヒ具体派と呼ばれるその仲間に出会う。 彼らはヒンターライターの作品のなかに、自分たちと関連のある試行を発見したのであった。
1939 最初の妻の死に際して、これを最後にイビサに戻る。美学的幾何学を続けるとともに、新しい形態と色彩の研究を試みる。 スイスとの関係では、1942年と1947年にチューリッヒ美術館で、スイスの現代美術家の協会である「アリアンツ(同盟)」とともに展覧会を開催。
1953 イビサ島の農場を手に入れる。彼は10年以上もの間、ほとんど耕作に専念する。
1963 ドイツ人と二度目の結婚をする。絵画と理論の創案に戻る。 初期の企ては試行され発展する。同時に彼はリプロダクションの新技術、特にコンピューターによって制作するようになる。 国際的な美術マーケットが彼の存在に気づくようになる。 特に彼の友人であるカール・ファン・デル・フォールトの努力によるものであった。 展覧会が多く開催される。
1972 イビサ島においてヒンターライターの70歳の誕生日が祝われる。 その次の年にヴィンタートゥーア美術館にて、美術館では初めての展覧会が開かれる。
1977 75歳の誕生日に際して、ヨーロッパ中の様々な美術館を巡回する大規模な展覧会が開催される。
1988 ニューヨークのグッケンハイム美術館でヒンターライター展が開催される。
1989 スペインのイビサ島で没する。
1991-92 ニューヨークのP.T.エフスタチュー・ファイン・アートで個展。
1993 ヒロ画廊で個展。